
法華宗の伝統は、本佛釈尊が上行菩薩に付嘱し、人界応現の上行菩薩たる宗祖日蓮大聖人が本門八品上行所伝の要法を六老僧である日朗(にちろう)聖人をはじめとして中老僧と呼ばれる光長寺を開かれた日春(にっしゅん)・日法(にっぽう)両聖人、鷲山寺 日弁(にちべん)聖人に伝授され、中でも日朗門下の日像上人は、日蓮大聖人の御遺嘱であった京都開教で妙顕寺を創立、その後室町時代に入って大覚(だいがく)大僧正、朗源(ろうげん)和尚、日霽(にっせい)聖人と法脈は受け継がれました。
ところが日蓮聖人の正しい教えは、御入滅後次第に歪められ、本迹一致の邪義が横行し、分脈がおこっていきました。この時に日霽門下に日存(にちぞん)・日道(にちどう)両聖人の教えを受けた日隆聖人が出られ、永享元年(1429)「四帖抄」を著されて、本門八品の正意を鮮明にされました。また日隆聖人は本能寺・本興寺を建立して法華宗を再興され、法華宗の再興唱導師に崇められています。
時を同じくして、光長寺に日朝(にっちょう)聖人が出られ、日隆聖人と八品正意を確認され一味法水の契りを結ばれました。法華宗はその後次第に教線を伸ばしていきました。しかし、天文法乱や安土宗論で門下も大きな痛手を受けましたが、本能寺 日承、本興寺 日諦上人等の活躍で復興発展し、江戸時代には鷲山寺とも一体不離の関係を深めています。
明治になり江戸・浪速をはじめ各地に八品講が起こり、在家信仰も活発になってさらに教線が伸張されました。昭和に入って戦時下の曼荼羅不敬事件を乗り越えて、宗是を格遵して日蓮聖人以来の本門八品の正統を受け継いでいます。
